ここでは
『子供を一流の大学に入る頭にするやさしい法』
というのをお教えします。
先日地方大学の医学部にいる次男に、勉強指導の協力の話に行ったのですが、昼食をとりながら、次男の幼児期のこの方法の話をすると、うなずいていました。
(この文は何年か前の記述です)
医学的にも納得がいく方法なのでしょう。
じつはとっても簡単なのです。
むしろ幼児のときから、英才教育のようなことをさせるひと、懸命に受けさせるお母さんがいますが、無駄ではないにしても、その子供たちがみんなどのような道を歩んだか、ぜひ知りたいです。
けっしてそれだけでは伸びず、訓練の一部でしかないと思います。
私がふたりの子供に幼児のときから行ったのは、まず音楽をよく聞かせることです。
これは私の家に隣接する、窓から見える広いいお庭のお隣さんも、朝早くから毎日、おばあちゃんがカセットで孫に音楽を聞かせていました。
庭に面して私たちの寝室ですから、もう私は早朝から
「ウルサイナア。」
とうたた寝になっていました。
ところがこの子が幼稚園に行き、発表会で舞台演奏をしているとき、隣のママさんが、
「あの子かわいくて、賢そうね。」
と言っていました。
小学校に上がって、近所の噂で勉強が良くできる、と聞きました。
高校はちょうどその頃、学校群ということを始めて、難関校だった一番手と二番目の高校に生徒を振り分けるようなことをやっていました。
それで元来の2番手に行きましたが、レベルはそう変わりません。
そしてお隣さんの話では、
『宇宙航空学科に行きたいそう』
と言いました。
その学科は東京大学と東北大学にしかないとのことで、さすがに東大は難しく、東北大学を目指しているそうでした。
そして一浪はしましたが、希望の大学に進みました。
その子は私の長男よりも1学年下なので、その子よりも早くから私は長男に音楽をよく聞かせました。
そして長男・次男ともにですが寝る前に毎日、昔話を聞かせて寝かせていました。
次男はとくに音楽を良く聞き、日中もカセットで聞いていましたが、寝る前に私が昔話をしに行くまでに、寝室にあったオーデオ装置にカセットを自分でセットして聞いていました。
モーツアルトの曲を聴くと脳が発達して頭が良くなるという説があります。
モーツァルトの音楽が心身に影響を及ぼすことは1991年に出版されたフランスの耳鼻科医アルフレッド・トマティスが著書に書いていました。
それが一般に知られるようになったきっかけは、1993年にカリフォルニア大学アーバイン校の心理学者フランシス・ラウシャーらが学術誌「ネイチャー」に発表した論文です。
この論文においてラウシャーらは、モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ ニ長調」K448を学生に聞かせたところ、他の音楽を聞かせたり、または何も音楽を聞かせなかった学生よりも、スタンフォード・ビネー式知能検査の空間認識テストにおいて高い成績を示したことでした。
この実験で、モーツァルトを聴いてから、試験を受けた学生は、知能指数が平均して8~9ポイント高くなったとあります。
ただしこの効果は音楽を聴いて10分から15分程度だけ見られる限定的なものでした。
しかしながらこの効果は「モーツァルト効果」と名づけられ、新聞等で広く報道されたのです。
1990年代後半には、ラウシャーらの結果を肯定、または否定する、多くの研究が行われました。
1998年にラウシャーらはラットを用いたT字型迷路試験 を行い、”2台のピアノのためのソナタ”を聞かせたラットはフィリップ・グラスの曲を聞かせたラットよりも早く迷路を抜け出すことを見出しました。
モーツァルトの楽曲は脳を直接刺激していると結論されましたが、いっぽうでラウシャーらの結果は単に音刺激によって脳が覚醒、あるいは心的状態が変化したためとする反論も出されました。
1999年ハーバード大学のクリストファー・チャビスによって、モーツァルト効果はモーツァルトの楽曲以外でも生じることが明らかにされ、またアパラチア州立大学のケネス・スティールらによって1993年のラウシャーらの結果は再現できないことがネイチャー誌上で報告されています。
この研究者間の論争は現在でも学術誌上で続けられています。
その後、モーツアルト効果がビジネスとして使われ、大々的な宣伝とともに商品化されました。
ジュージア州では生まれた子供にすべてにクラシック音楽のCDを贈る世予算要求が議会で出されたこともあり、それはテネシー州でも行われました。
いっぽうでドイツ教育省は様々な分野の研究者を集めて検討をすすめ、2007年に「モーツァルト効果は存在しない」と結論づけた研究結果を発表しました。
ただし研究結果は、音楽を聞くだけでは知能が発達しないことを示したもので、音楽を習うことで知能が発達する可能性については否定していません。
それで私がふたりの子供に聞かせた音楽はモーツアルトではありませんでした。幼児向けの音楽・童謡でした。
それと次男は、長男が放置した英語と日本語の交互の会話テープを飽きずに何回も聞いていました。
宇宙工学科へ行ったお隣の子供は、おばあちゃんが縁側で聞かせる、幼児向けの歌でした。
たぶん安いカセットレコーダーでがんがん鳴らしていました。
音楽を聴くと脳が動くのが感じられます。
脳の血流に変化が現れるということと思います。
つれて脳神経が反応を示すと思われます。
私は高級ステレオの中古品で音楽を聴きます。
最近は多忙でこころの余裕が無く、ちょっと聞くだけですが、日課にしないといけないと思っています。
良い音質ですと脳に染み入るような反応が解ります。
聴くならやはり音質が良くて心と脳に染み入る装置のほうがいいです。
モーツアルト論争では、モーツアルト曲でなければならないとではない結果になりました。
しかしクラシック音楽には1/fゆらぎというのがあり、
ロック音楽などにはこれがないそうです。
1/fとは、
発見のいきさつは、約80年前に電気的導体に電流を流すとその抵抗値が一定ではなく、不安定にゆらいでいることが発見されたことによります。
その後ろうそくの炎、そよ風、小川のせせらぎなどの様々な自然現象の中に”1/fゆらぎ”が発見されました。
ほかには
◎人の心拍の間隔
◎クラシック音楽
◎手作りのもの
なども「1/fゆらぎ」になっていることが発見されています。
自然界では
◎海・森等での鳥のさえずりも、1/fゆらぎです。
です。
1/f ゆらぎとは解りやすく表現すると
・規則正しい
・不規則
の混合した状態です。
音楽で言えば、まず基本となる音が規則性を生み、そこを振幅する形で不規則音が絡む、という状態にな規則的なものと不規則なものが調和した状態が、「1/fゆらぎ」になります。
電車の揺れもここち良くて眠気を誘います。
キャンドルの灯りの揺れもそうです。
理屈よりも実感で理解しましょう。
それはα波を生み出すのです。
さてモーツアルトの曲が頭を良くするというのは、たったひとつの実験の結果をアメリカで商業的に利用して、モーツアルトグッズの販売に使われたことのようです。
ところがその後、調べもしないで書いてあることを鵜呑みにし、転記しているネット記事で広がっているのです。
それで音楽を選べばどんな曲でも良いと言えます。
ただし音質の良いものを聴くことをお勧めします。
曲は1/fのゆらぎのあるものも含めると良いです。
好きでない音楽を無理して聴く必要はありません。
でもリズム感覚で聞くような身体的な刺激の音楽ではなくて、脳が反応して動く曲にします。
特に言われているモーツアルト効果の曲はこれです。
https://www.youtube.com/watch?v=P_6K9ZW7qUs
ネットでの感想の記載にこのように書いたのがあります、
まるで頭のすぐ右と左にピアノが置かれていて、それぞれが奏でる旋律が互いに干渉し合い、響き合い、ちょうど我が脳内全体が「一大共鳴場」になるような具合なのです。
「波動は干渉し、共鳴し合う」という波動の原理そのままの現象が、我が脳内で起きたような感じです。
その結果どうなるのか。頭の前頭葉、両側頭葉、頭頂葉、後頭葉、つまり脳全体に何と言えばいいのか、まるでパルスが走るような名状しがたい現象が起きたのです。
特に刺激が顕著だったのが後頭葉の左の部位です。“見えざる手”によって、後ろからそっとやさしく指圧でもされているような感じがしたのです。決して不快な感じではなく、むしろ心地良い刺激です。
続いてこう記しています。
『最初はインパクトがありましたが、続いて聞いていると脳が慣れるようで、そう感じなくなりました』
昔話は、おむすびころりん・赤頭巾ちゃんから、芥川 龍之介の雲の糸・魔法にまで及びました。
これを思い出して書きとめたら30話になりました。実家に置いてあるパソコンに入っていると思いますから、見つけたら公開いたします。
それで長男は中学で学年1番になり、近所のひとは
「また東大行きが出る。」
と言いました。私の斜め前の家の長男さんが東京大学で物理の勉強をしていたからです。
ところが一番はそれきりでしたし、後からはさんたんたることはブログに書いています。
次男は迷路に興味をお持ち、かなり上級学年のものを、簡単に1冊終えるようになりました。
幼稚園に入って以降、地域の図書館で20冊づつ、本を借りて来て積んでおきました。
2日ほどして、同じ場所に置いたままなので、
「少しは読みなさい。」
と言うと
「もう、よ~んだよ。」
でした。
返しては借り、相当数の本をいつの間にか読んで積み上げてある繰り返しでした。
そしてもはや借りるにも、棚は借りた記憶がある本だらけになりました。
たくさんの昔ばなしを繰り返し聞かせているうちに、知識と読解力が頭のなかにくもの巣のようにネットワークを創っていったことと思います。
数学の神様と言われた次男も、後からは私たち親のかかわりが次第に十分でなくなったために、う余曲折のことになりました。
ゆとり教育のまっただ中で、緩んでしまったこともあります。