東京大学の医学生のときから本を書き、教育事業活動やビジネスをしていた学生は石井さんというかたです。
頭を良くする頭の使い方のひとつは”思考の深さ”と言います。
突っ込んで考える、また論理思考ということです。
論理思考とはいくつかの物事をつなげ、筋道をつけて考えることです。
分かりますね。
深い思考の反対は浅い思考、つまり非論理的思考となります。
感情的、また短絡的ということになります。
物事の道理を考えずにポンポンと考えを出すような思考です。
石井さんはこれを良くないことと捉えています。
確かにそうかも知れません。
でもそこでよく考えてみましょう。
論理思考のいくつかの物事をつなげと言っていますが、これは何をつなげるのでしょうか。
それはそれまでに得たパターンの蓄積をつなげているのです。
新たに初めて考えついたことと言うのはまずないでしょう。
それを筋道があるように組み合わせるか、あまり良くない組み合わせかの違いです。
深い思考とはこの組み合わせが最良か、ほかに良い組み合わせはないものかをよく検討することです。
浅い思考とはこの検討を十分にしないか、もしくは検討する材料が少ない、さらには多方面の視野から見るのが不得手であるという場合になります。
まずは深い思考をするにも、数多くのパターンを積み重ねていないとできません。
蓄積がないといつまでも結論を出さずに同じことを考えている行動になってしまいます。
これを勉強に置き換えますと、ひとよりも多くの問題の解法パターンを暗記していることになります。
筋道どうりに組み合わせるのは、訓練で数をこなすことになります。
問題集の問題は筋道どうりに解かないと解答は出ません。
これを深い思考というのかどうかですが、じっくり考えるのでなくて試験中に瞬間的に行います。
このように順を追って考えますと、
(A)自分でよく考えて理解しないといけない。
(B)問題の答えと解説をできるだけ正確にたくさん覚える。
というのは限りなく接近して、ほとんど同じことになるのではないでしょうか。
考えるためには材料が頭の中になければなりません。
幼児に良く考えろと言っても、組合わせる材料をあまりもっていません。
こんな言い方があります。
「どこがわからないのか、わからん。」
ミス東大のタレント加藤ゆりさんの著書にも、東大受験で数学をやっているときに、このようなことが書いてあります。
つまり判断する材料を蓄積していないと、考えることがまずはできないのです。
話がそれますが、長男も次男も歩く少し前のころに興味深いことをやりました。
子供用のお菓子を目の前において、
「これいくつ?」
と言いました。
すると指を広げて眺め、それを3本にしてお菓子に重ねて合わせ、一致するのを見たのです。そして
「3つ。」
と答えました。
次男も同じことやりました。
これは考えたのかどうかということです。
どうやったら答えられるか考えたとは言えますが、
3というパターンを頭に蓄積していて、それを取り出して目の前に見える映像と合わせたのです。
これを良く考えた結果というのかどうかです。
また次男はおもしろいことをやりました。
2歳くらいと思いますが、ハサミを使って紙を切るのがおもしろくて、父のはさみを持ち出しては遊び、そのままどこかにやって返さないのです。
父がハサミを使おうとするとありません。
いくつものハサミが被害に遇うので父はハサミを紐で縛ってしまいました。
そうしたら次男はそのハサミで紐を切って、またどこかへもって行ってしまいました。
父はカッカと怒っていました。
これは次男が考えたのでしょうか。
①ハサミは紙が切れる。
②ひもも紙と同じようで切れそうだ。
③このハサミで紙を切ってまた遊ぶことができる。
この3つのパターンを組み合わせて行動に出し、ハサミをもって行ったのです。
テーブルの上には、ひもだけが横たわっていました。
それで幼児にとっては指3本とお菓子を重ねることはそれなりに深い思考だったと思います。
ひもを切ることもです。
限られたパターンから選び出して、より良い組み合わせを選び出したのです。
そしてオンライン学習サポートが推奨する勉強法はこれと同じく、ひとよりたくさんのパタ-ンを蓄積して、それをひとより早く組合わせて、求める結果を導きます。
これで問題集を先に解いて答と解説を覚えてしまう勉強方法が、無謀ではないことがお分わかりになったでしょうか。